カナリアるーむ こころの相談室

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摘む 残す

気ままブログも三年、未だ心もとないのですが今月も徒然にはじめます。これもどなたかのふりかえりのきっかけになればと思います。

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思えば(今年も植えたが)毎夏アサガオを話に挙げて、花は咲けば嬉しいのでつい写真など載せてきたが、本当のところ花ではない時期のほうが長い。
梅雨の前後の今頃になると、摘芯の時期になる。子蔓で旺盛に花を咲かせるためだが、ようやくのびてきた芽を、多少しのびない気持ちで摘む。
 
これをやるときいつも思い出す詩がある。茨木のり子さんの「私の叔父さん」の冒頭だ。
 

一輪の大きな花を咲かせるためには ほかの小さな蕾は切ってしまわねばならん 摘蕾(てきらい)というんだよ 恋や愛でもおんなじだ 小さな惚れたはれたは摘んでしまわなくちゃならん そして気長に時間をかけて 一つの蕾だけを育ててゆく  …

 
薔薇や芍薬はそうだろうし、恋愛にそんなところもあろう、特別好きな詩というわけでもないが、園芸用とは言え刃物を片手にすれば、この詩には毎度どきりとする。気を取り直し、支柱に巻きはじめたアサガオの蔓に鋏を入れる。
 

どちらかというと自分は、小さな思いがそうそう捨てられないほうで、先々月も書いたが古物も好き、骨董市など行けば延々と見ているのである。摘蕾どころか迷い守る蕾が多いたちかもしれない。
 
最近、実家のほうで少し大掛かりな片付けが必要になった。整理する只中の場の光景は、昭和、平成、令和と跨いで今時らしいとも思う。
 
しかしながら、この物たち、置いていたが実は忘れていたわけではない証拠に、この箱にはあれが入っているんだと、開ける前からもう分かるものも多い。
蓋を取れば、絵はがき、ミニチュアの置物飾り、旅先の土産、湯呑、薄紙の綺麗な便箋、様々なしゃれたデザインの出版社のしおり、などなど。しかしこうして見ると、捨てられなかった理由がはっきりしてくる。
 
途中なのだ。
好みもある。区切りをつけたものもある。しかし、多くは、とにかく思い半ばであったものだと思う。
挫折といえばそれまでだが、思い切れなかったり、その機が熟していないから一旦諦めた、ということもあっただろう。
 
絵はがきは旅先や美術館の、見ようとして見そびれた、行きそびれた場所。行けなくてせめて買った。もう一度行きたさ、確かめたさ。
しおりには、驚くほどその時の匂いがしみている。これはあの駅通にあった古書店の匂いだ。もう潰れて無い店だけれど。続きを買いに来よう、と他の作品を読もうとしていたことも思い出す。自分は引っ越した。店は畳まれた。まさかこんな電子書籍の時代が来て、探しに行かずとも部屋に寝転んだまま手に入るようになるとはあの頃思いもよらなかった。
 
こんな思い方は、少々しみったれていて、断捨離の某流からは笑われるのだろうか、今はそういう時代かもしれない。実際捨てるもののほうが多いのだ。俗塵に埋もれるべからず。
しかし、どうなのだろうか。
小さな惚(ほ)れを摘まないで、守り抱きながらの生き方も、あってよかろうと思う。それも力である。人に諭されたり批判されることではない。抱え切れないなりに、押しとどめしまってきた思いの、何が悪かろう。写真や手記や思い出の品を持参で相談室を訪れて下さる方も少なくない。事物を捨てずに来た人には、いつしか語る必要があろうし、諦められずにいること、実は今なお胸にあること、先延ばしたことの後悔、当時は大きい声では言えなかった事情も、やむにやまれぬ状況もあっただろう。その訳は聞くに価する。
 
蕾を摘むのはその後でもよいのではと思う。大きな一輪ならずとも、今はいっそ摘まずに、小さな花に育ててもよい。語り尽くして後に心に灯がともるなら。やり直しはここから。ご自身で区切るきっかけをと願う。
 
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