カナリアるーむ こころの相談室

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綱と真柴

やっと長袖の手首に秋の風。先月のはじめから町中で見かけていたハロウィンかざり・クリスマスケーキの広告・おせち料理のポスターといった季節の情報も、ようやく体の中でバグを起こさず受け留められるようになりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。


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今日は長唄から鬼と心のお話です。

ここ数年人気のアニメや漫画に、鬼や魔物の類が出てくるものが多いですが、これも古い時代からのこと、割り切れなさが渦巻く人と人の世界の延長であるからこそ想起されるもの。近い間柄であればあるほど、相手への要求水準が高くなったり、遠すぎたり近すぎたり適切な距離がとれなくなったりと、痛み傷ついている人が実際に少なくありません。

 

鬼伝説といえば関西では大江山がよく知られています。大阪にも北摂に同地名がある茨木童子という鬼と、平安の武将・渡辺綱による成敗物語で、長唄・歌舞伎でも演じられるある場面を取り上げてみたいと思います。

 

描かれ方は幾通りかあるようですが、京の一条戻橋で茨木童子と戦った渡辺綱は見事に鬼の腕を切り落とし、屋敷に持ち帰ります。いずれ鬼が腕を取り返しに必ず現れるから決して気を許すべからず、忌みの期間を設けて籠もるようにと陰陽博士の晴明から勘文を受け、綱は箱にこの腕を封印します。

門を固く閉じ、万全に警戒していたはずの渡辺綱。

ここへ綱を育てた養母という老女・真柴(物語では叔母または伯母にあたるとされています)が現れて…

「さあ母が参りました、開けておくれなさいまし」

物忌みの今はできないと綱は断るのですが、真柴は引き下がりません。

綱館の段「長唄撰集第三編」より(大正14年・日吉堂本店)

 

「愛想も素っ気もない…あなたが幼いときは大切に抱いて育て、夏の間は扇であおいで暑さをしのがせ、冬の寒さは衣を重ねてあたためましたのに。ああ、そのような邪険を申すとは恩を忘れたか。」と涙を流して門によりかかる。

これには然しもの綱も弱いのです。負けて入れてしまいます。

門だけではありません。

「その箱はなに?ぜひ一目だけでも見てみたい。」とねだられて、とうとう封印した箱まで開けてしまいます。

そう、この老女こそは腕を取り返しに来た鬼・茨木童子の化け姿。正体をあらわし腕をすばやくひっつかんだ茨木童子は山へ飛び去って逃げました。

 

この場面、人の痛いところを突いてくるのですよね。恩義。貸し借り。そして罪悪感。その他もろもろ。悲しそうな声を手段に相手をコントロールする/されるところなどは、見えない形で知らず知らず私達の人の心を侵犯する、不健全な情のやりとりがよく描かれています。それがはたして愛などと、輪郭も実態もわからない名前で呼んでもよいものなのか、一言では形容しがたいのです。

しかし時々思ってしまう。

この腕の譬えが妙に生々しくも、しっくりこないでしょうか。幼いときに一人で生きられる者はいません。かならず誰かの手を必要とします。物語で渡辺綱が切り捨て持ち帰ることになる鬼の腕を、養母の腕と考えてみるとどうでしょう。この腕は、子には自分の成長の歴史の一部。養育側の真柴叔母さんからしてみれば息子に「手がかかる」時期、いわば片腕を取られていたような時間、貴重な自分の人生の一部。子のほうは持ち帰って、もはや不要だが、ひとまず封して大事にしまい込んでいる。

鬼、もとい親は…その様をしっかり見に来て、取り返しに来たわけです。(親という立場で見るとちょっと目も当てられないですが、親と子が逆転していることもままあります。)恩で泣き落とし、心に入り込み、所在を確かめて回収する。侵入される方は危機をぎりぎりのところで耐えねばならず、孝行と罪悪感がせめぎ合いの時かもしれません。

 

まあしかし、もう立派に自分のことは自分でできるはずの者同士なのに、隠したりアポなし訪問したり。親の方もとっとと速やかに引き取るなり、子の方もさっさと返したほうが得策なのですが、なかなか実際これが難しいのです。それをいつ戻すか、どうやって引き取るか、平和に返せるか、ひと悶着しながら返し返されることになるのか。

茨木童子は、橋の上では美女、のちに老いた母(叔母)の姿かたちで綱の前に現れ気を引きましたが、自分の中の鬼はどんな見目をしていますか。自分の養育者の腕はいまどこにありそうですか?もう返しましたか?いつでしたか。返したいのに、まだ手元にありますか?

あるいはあなたが養育者なら腕はいま片方ですか?もう両方ともそろいましたか?

なんだかおかしな問いかけを書きましたが、特に大人の私達は、双方の関係が近ければ近いほど、手を借りたり切り払われたり、腕を持っていったり持っていかれたり、そんなふうになっていないか、少し見直しておくのがいいかもしれません。

可能なら情緒で操作しないで、必要なときに堂々と借り、終わったらしっかりもとの場所に戻しておきたいものです。大人になってからの鬼と人の境界は、思ったより近くて暗くて深く、ついどちらがどちらか自ら惑わないためにも。


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