カナリアるーむ こころの相談室

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湿り気

なお残暑が厳しく、皆様いかがお過ごしでしょうか。遠く起こる台風の進みに合わせて湿度の高い風も身心にまとわりつきます。

 

今日はそんな湿り気の話。

砂糖や食塩はどなたの台所にもあると思います。

砂糖も塩も、保存状態、とくに湿度によって、反対の条件で固まることがあります。

 

ちなみに砂糖には水分を、塩には乾燥を加えると元に戻ります。

先日喫茶店で、炒った米の入った食卓塩の小瓶など見てちょっとレトロな気分になったりしましたが、最近は珪藻土の容器や匙が出て、便利な時代になりました。

 

こころのお話をするときに気になるところは、そんなウェットな度合いです。

皆様は、こころの湿り具合、いかがでしょうか。ご自身を振り返って、気持ちをあつかうときに、湿りがある方か、それとも乾いている方か。綯い交ぜに、あるいは交互に入れ替わるか。どんなイメージでしょうか。

この喩えは十全ではないにせよ、こころには似たようなところがあります。

ウェットな感じというとマイナスのイメージを持つ方もおられるかもしれませんが、そうとは限りません。ある程度の調湿の感は意外と大切な働きがあります。

あまりに湿り過ぎると、食塩の瓶のように逆さにしても雪塊のように出てこなくなってしまいます。反対に暑苦しさの中で自らの甘さが溶け出す、さらに乾燥して乾ききれば、砂糖のようにかたまって、いざというときに岩のようになってしまいます。

自らと対面する時に、振ったり叩いたりしながらなのも、あちこち匙でガリガリ削るのも、大きな塊が転げ出すのも、どちらも少しつらいものです。

 

自分のこころと向き合う時には、風の通り道とともに、ほんの少しだけ、ウェットな感覚を大切にして頂ければと思います。砂糖や塩の細粒を思い、浸り濡れそぼらず、ごつごつ頑強に固まらず、あまりサバサバと風を吹かせすぎても粉が飛びます。できればほんの幾許かの湿り気を守りながら。

必要とあれば、時に霧雨にもなり、また瓶の中の炒り米にも徹して、相談室も何らかのお手伝いができればと思います。

風の音とともに清秀の秋が待ち遠しい時節になりました。今月も皆様のご予約をお待ちいたしております。