カナリアるーむ こころの相談室

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Happy Ending

ひと雨降り、ひと風吹くごとに秋らしくなってまいります。お出かけも増える季節となりましたが、皆様いかがお過ごしですか。

 

ある日の小学校、運動会の練習らしいグラウンドから槇原敬之さんの曲が流れていました。先生世代の選曲でしょうか、マッキーのファンだった方もあったかもしれません。世間で騒がれた一事件もありましたが、それでもこうして小学校から流れてくるのを聴くにつけ彼には本当にいい歌が多く、子供たちの明るい掛け声にもよく合って、その日ものびやかに響いていました。

 

「Happy Ending」という槇原さんの曲をご存じでしょうか。ちょっとカウンセリングの一場面を思わせるような、回想のような歌で、かつて聞いた時から何年も忘れられずにいます。冬の歌ですが、今日はこの歌から一つお話を。

 

万博公園が舞台、入場ゲートの描写は共感を覚える空間の捉え方、景色がありありと目に浮かびます。

家族で遊びにきた少年が、うきうきと無邪気にはしゃぐ様子。パラソルを開いたような簡易な屋台のお店で売られていたものでしょうか、パタパタと羽を動かして飛ぶ鳥のおもちゃをねだって買ってもらいます。

ところがその帰りのゲート。何があったのでしょう、お母さんがご機嫌を悪くしてしまったよう、不機嫌に任せてお母さんの口からこぼれ出たなんらかの言葉か表情かが、少年の心をきつく締め付けます。

 

この歌ははじまりからすでに微かな不穏をはらんでいるのですが、「今日は特別」と「思い込んで」いる彼にとって今日の幸せは怖いほど。家族が笑って外出して過ごすこんな楽しい日が来るなんて。ところが・・・お母さんが怒り出してしまった。

 

“ゆき”は信じられないくらいの幸せ。

“かえり”はいつもの、お母さんを怒らせる僕。そう、また、僕が。

だから悪いのは僕なんだ。怒らせてばかりいる。いつもそれが自分。

 

小さな体と頭でその時一生懸命考えた少年は、この時買ったおもちゃを「無駄遣い」と結論しています。買って!とはしゃいで、無駄遣いをさせたから。特別な一日を毀してしまった、と震えます。

 

こんなことじゃだめだ、お母さんの、人の、相手の喜ぶことをまず先にできる自分にならなくちゃ…!

いつか家族で出かけて、その日のおわりまで笑顔で過ごせますように。

 

少々切なくなるような決意がなされています。

 

面接で時々お話することがある、幼時決断の捉え方も、この歌の少年に似たところがあるでしょう。こう在らねばと自ら意を決し、或いは心の中で目に見えないメッセージとして私たちを叱咤し、時には方向付ける「使命」「命令」。切なる願いには違いないのですが、強く駆り立てられればそれだけ、なんだか生き辛い人生の脚本を、気づけば組み立ててしまっていることがあります。

 

この歌は Happy Ending と題されてはいますが、果たして、少年はさらにその後、本当の幸せな幕引きを得たのでしょうか。願い叶ったという詞の通りそうであればと心から願うのですが、しかし一寸待って・・・人を喜ばせてあげられる自分になる、すばらしい奉仕の精神、人を思う優しさ。ただ、その一歩前に問うてほしい、彼自身の喜びはどこにあったのでしょうか。自由に羽を羽ばたかせる鳥の似姿をとった、あの時あの瞬間の喜びは? ・・・ほんの少しだけそれが気がかりです。

大人になった者として捉え直せば、この歌一つにも、幾つも幾つも別の風景が立ちあらわれてくることでしょう。お母さんを不機嫌にさせたのはなんだったのでしょうか。他の家族はどうしていたでしょうか。どうして彼は自分のせいだと、無駄遣いだと思ったのでしょうか。なんだかいろいろな想像をしてしまう一曲です。たかが歌、されど歌。秋の空に高く上がるマッキーの声が、こんなに柔らかいのに、幸せな結末と歌っているのに。

なのになんだかちょっと胸が痛そうで。

 

皆様はどんなふうにお感じになられたでしょうか。

無駄遣いについてはこのお題の続き、また月と稿を改めて。

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ほうき草 (万博記念公園