カナリアるーむ こころの相談室

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珈琲と時


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春のまだ少し肌寒いが明るい外でぼんやり温かい飲料を飲むのが好きだが、そんなとき思い出す本で「コーヒーが冷めないうちに」というのがある。何年か前には電車の広告でよく目にしたからご存知の方もお在りだろう、元は舞台用であったが小説化され、後に映画にもなった。果たしてふれこみ通りに4回泣ける?のかどうかは来し方行く末それぞれ胸の内によるだろうが、立ち止まって考えることの基礎モチーフに満ちた空想物語ではある。
 
その喫茶店には不思議な伝説があり、ある席で、店の女性が淹れたコーヒーを飲むと望む時間にタイムスリップできるのだが、そのためには厳しい決まり事を守らねばならないという。
物語評はさておき、この「規則」というのがなかなかよくできていて、コーヒーを飲んでいるとつい思い出すのである。
 
過去に戻ることはできる。しかし戻るだけ。戻って何かしたとしても過去を書き変えることはできないから何も変わらない。
事はすべてこの喫茶店内のみ。この店内を出ることはできず、店に来たことのある人にしか会うことはできない。
滞在時間はコーヒーを注いでから冷めるまでの間、その前に必ず飲み干し、もといた現在に戻って来なければならない。
そして問われる、
それでも行くか?と。
 
コーヒーを注いでから冷めるまで、というのも巧みな措辞だ。これを長いとするか短いとするか。
店の中という空間の枠があることも、なるほどと思う。何でも調べられるような情報の世界でなかば万能感めいた錯覚を持つ我々だが、自分の生きられる世界は想像以上に限りがある。どんな人も、時間の軸をずらせたとしても、自分の見聞を突如拡大することはできない。所詮出会ったこともない、知らないものは見えない。あくまでも移動先は今の自分を起点に延びている時間のどこかだ。
 
あなたはいつどの場面を見たいか。
この問いかけだけでも本当に様々なお答えがあるので、つねづね興味深いと思っている。
 
相談室というところも、限られた空間で観念的に時間を行ったり来たりする場所だろう。なぜ行きたいのか、どの場面のだれに、何に、対峙したいのか。そんな魔法はないが、話しているうちに、時間軸を選んだり、じっさいに心が移動していたりすることはある。
 
しかし時間を超えてみるというのは、頭の中だけであっても決して楽な作業ではない。コーヒーを飲むほどのいっときであろうと、むやみに旅立つことはすすめられない。それでも見たい、確かめたいとすれば、それも一つの覚悟だろう。
 
人生は一回きりで、その時の選択は一回しかできない、それはすがすがしいほどの事実だ。だからこそ引き受けなければならない〈今ここ〉を、スライドフィルムのように〈あの時あの場所〉の体験に重ねて見る。実は望んでいたはずのこと、打ち捨てていたことが浮かび上がってくる。
〈あのとき、あのように、あったということ〉、それは存在の確かな一つのありようだ。それを認めて、現在を引き受けようと気持ちを決めるに至った人の、静かな瞳の輝きに胸を突かれることがしばしばある。
 
私達はひと続きの時をひと続きの己で生きるほかはない。「過去と他人は変えられない しかし未来と自分は変えていくことができる」という容易くはないが勇気ある有名なE.バーンの言葉を、たとえばコーヒーカップの湯気が消え入る前にひとこと唱えてみるのである。つらくても悲しくても、どうか今の自分を見失わないように、かならず今の自分につなぎ統べられるように。 
 
カップの底をかき混ぜて飲み干す。
どうかあのときあのようにあったあなたを/わたしを、凍らせず、留まらせず、分離せず、現在の人生の上で動かしつづけられるように、と。今日もまた祈っている。
 
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