カナリアるーむ こころの相談室

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まわり道

ひょんなことから、学生時代にある講義でお世話になった先生が他界されていたことを知りました。忘れていたのに、そのお名前を見た途端に甦ってくる、その先生との数分間の会話を思い出しました。
一般教養科目での書道講師の先生でした。
旅立たれるにはまだまだお若かったはず、あとから知るに、いろいろと多方面で活動的に作品をお出しになっていた方だそうで惜しまれていました。


美術系でもない私の学部内の般教で書道、というのはちょっと異色の科目でした。同期の友人が「習字道具なんて持ってきてどうしたの?そんな授業あったっけ?」と言うほどにひっそり開講。私も、課程修了に必要単位だから…という理由の履修でした。
普段なら割と四角四面な授業をしている講義室で、右や左に半紙や古新聞がひらひら翻り、墨の匂いがたちこめる、傍目には文化祭みたいでちょっと面白い光景だったかもしれません。 

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先生は精力的な方で、中国の長い歴史からはじまる講義の傍ら、学生たちの書いたものを廊下にしゃがんでせっせと並べて乾かすのを手伝い、一人一人の硯の横でちょっと軽い会話をしたり、アドバイスをくださったり、という接し方でした。ですから私も先生との接触はせいぜい2〜3分、その程度だったはず。


あるとき自由課題で、自分で好きに言葉を選んで大判紙に書くというお題が出されました。横書きもOKということで留学生などはご自分の母語で書かれている方もいました。
散々迷って私が選んだのは四行で、
「純粋を追うて
 窒息するよりは
    濁っても
 大きくなりたいのである」
そう、たしか太宰治。記憶を総動員したら「懶惰の歌留多」という短篇だったと判明。作品名はど忘れしていたのに、この一文だけは忘れていなかったから、よほどそのときの私は泥中の蛙みたいな心境だったのでしょう。進退を悩んでいました。理想より目の前の現実、親世間と自分、夢より金、いや金より本、本より経験、みたいな独り乱戦。 


濁、の字は不格好で大ぶりになって気に入らなかったという映像が瞼にあるので、まあ駄作。自分の淀みが筆に現れれば、下手より恥ずかしい。


皆を見回りつつそばに来てそれを古新聞に挟んでくれた先生が、ひとりごとのように、いや、しかし私の顔も確かに見ながら「ふうん…そうかー。ぼくは、できたら純粋で居りたいけどな。濁っても大きく、か。」


あれ?と思いました。先生は純粋を目指してる、窒息せず、濁らないほう?清流?純粋さは、大人になるとだんだん捨てていくんだと思っていたけど違うのか?
心で瞬間思っても返せる語彙もその時の私にはなく、不思議な感触を以後長く記憶することになりました。


細かいやり取りはまるきり忘れて、ただその清濁の問いをのみ一人抱えてその後を歩くことになりました。心願かけてもやっぱり、流れは澄まずに濁りの中、泥まみれ結構、清濁相併せ呑めばそのうち腹も下さなくなるんだろう、拘泥、そういう道のりでした。


先生の名が波紋をついて長くあとを引く。遅れてきた宿題のように、「大きくなりたい」と抜き書いたあの時の気持ちは何だったかということまでもが、急に迫り上がる。

だれかに申し訳なく思いながら生きるのはおかしいな、とか、お金をなんとかせねば、から始まって、興味のある分野に打ち込みたいとか、外国で生活したい、とか・・・あの頃えがいていたことは際限なくありましたが、結局、若い私が自分で思い込んでいた、なろう、なろうとしていた先の「大きさ」はあまり意味がなかった。
それより大事だったことは、藻掻きながらも泥中を進むこと、そのもののほうだった。


そして、それが結果的に純粋さということだった。


どこからか機会を得て、毎年行き続けている書道展があるのですが・・・よくよく考えたら、そのきっかけは、この先生だったのです。思い返せば、最初の展覧会は、授業で指示された夏季休みの課題。興味あるなしは兎も角「その招待はがき持ってここへ来なさい」と言われるままにバラバラと会場に集まって自由に観覧し、ちょこっと挨拶したら勝手に散り散り帰る学生たちの一人。単位のためだし、という気持ちで、ただただ訪れた展覧会。そんなことすら忘れていた。
それが、実は今の自分を形作るパズルの一片だったことに気づいたのはこんなに年を経てから。専攻科目でも何でもなかった、半ばしょうがなく取っていた授業の、書道の先生から、随分とその後の人生で考える材料をもらっていたのだろうと思う。

壮年の先生が、清濁の分別に囚われる私を前に、純度を求めるような言葉を口にされたあの時、もっと聞いておけばよかった、と今にして思う。書道家として、墨の濃淡や筆の潤渇を扱う者として、きっと思いをお持ちであったはずであるから。
諸々削ぎ落としていけば、筆も墨も向き合う題目も、全てが混濁の中から絞り出た素の思い。呼吸を整えて、留める。何かを願う。思いを載せ、筆を運ぶ、息をか細く流す。時には一息に吐く。そういう息遣いのあとを、多分私は作品の上に毎年求めて行っているような気がする。人の人生に似ている。カウンセリングの世界に重なるような気がする。何かを筆勢に確かめるようだ。

今頃になって、先生の名からそれを突如思い知らされることになり、行き着いた己の立ち位置にあらためて、驚く。


もう尋ねるすべもなく、思い出を共有する友もない、勉学の本業でも、本筋でも、本意でもなく、まわり道のように思えたことが、後でこんな風に自分という絵の大事な一部をかたどってくる。そういうことがあると思います。一瞬ではあったけれど、あの日の独り言とまっすぐこちらの目を覗きこんだ先生に、遅すぎる感謝を込めまして。

 

皆さんにはどんなまわり道がありましたか。

 

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