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軌道修正

小惑星探査機・初代はやぶさと私、昨年11月の話の続きです。

はやぶさは、地球との往還を果たしたからこそ小惑星探査機として有名になりましたが、打ち上げ当初はあくまで工学実験探査機という呼び名でしかありませんでした。宇宙空間で工学技術をためすための挑戦、将来の後継機のための実験だったということなのでしょう。

故障やトラブルのたび、一つ一つの対処もそうですが、とにかく今あるリソースで何とかしようとする姿勢、宇宙に携わる人々はどうしてこんなに皆ポジティブなんだろう。それもただ情熱的なわけでなく、根拠のあるポジティブというのでしょうか。勇気づけられてきました。

イトカワも、もともと目指されていた目的地ではありませんでした。開発が始まったときにはネレウスという小惑星が想定されていました、しかしその後、ネレウスに行けるほど探査機を軽量に作ることが難しいと分かり、それよりも到達がより楽であろう1989MLという小惑星に変更。ところが2000年のΜ-Ⅴロケット打ち上げに失敗してしまったことで、軌道上のタイミングが合わなくなり、さらなる出発の延期と変更を余儀なくされました。そうして選ばれたのが1998 SF36、のちにイトカワと命名されますが、この時は名前すらまだついていません。

目標天体が変わることによる軌道計算も、はやぶさの設計変更も、しかも行き先の天体の重力に合わせた探査機の軽量化も、いかに厳しいことか、驚くばかりで私などには想像すらできません。予測された条件も変わってしまう中、綿密な話し合いを繰り返しながら、あのはやぶさは設計されていきました。

地球と太陽、惑星の位置関係によって行き帰りの時間も大きく変わります。計算によって人が全てをコントロールできるわけでもない、天体におけるタイミングを見極めなければならない。イオンエンジンは急に加速・減速・軌道の変更がきくわけでないので、進む速度も、細かく調整する。大海原に浮かぶ小さな小舟を細長い棒でちょっとずつつ触れて軌道を変えていくような、そんな地道な作業だったという喩えを思い出しました。

軌道修正は常に行われるもの、その都度臨戦するという覚悟なのでしょう。誰も見たことがない天体。とにかく行ってみないことには、やってみないことには分からない。

その意味で、はやぶさを支えた皆さんの「好奇心」には妥協がない。だれ一人、無理だなんて言わなかった。

はやぶさが星になって散った頃、私は毎日何も起きませんように、と変わらない平穏な日常ばかりをぼんやり欲していたように思います。わが子を膝に乗せて毎日瞬間瞬間、風が吹けば吹かれるまま、笑ったり泣いたり一緒に騒ぎわめいたり、そんなふうに精一杯だった。

夢は?今の自分に軌道なんてあるか?おやおや、そんなもの描けたこともあったのかな、はて、どこへやったっけ?

そうだ、結局お行儀よくお勉強することしかしてこなかったんじゃないか。惰性の周回軌道をこのまま回り続ける日々か?自分から立ち向かって、心で、体で、挑んだことはあるのか?

言い訳が頭をもたげる。いや、だって、うちの子まだ小さいし。いや、だって、どうせ近々また引越で疲れるし。いや、だって、まだ体が本調子じゃないし。いや、だって、失敗したら怖いし。お金も経験も足りなさすぎるし?

『……「未来」という字は「未だ来ない」と書きます。未来というのは見えないわけです。
いかに、ものを覚えるかではありません。
学ぶプロになるのではなく、まだ来ないものをこれから作っていく、見えるようにしていく努力が一番大事だと思います。』

はやぶさのプロジェクトマネージャー川口淳一郎さんがおっしゃった言葉がガツンときたのはその頃のこと。いや…今もなお痛い言葉。

〈続く〉

梅の花もそろそろ