カナリアるーむ こころの相談室

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温度 見守られる

早いもので12月です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

この季節は一日一週ごとに木々の色が変わり、気づけば葉が落ち、暮れ時も短く感じられ…私はいつも後追い気味なところがあり、枯葉舞う風に巻かれながら、この季節ならではの楽しみにやや立ち後れている感じです。街路などで、あっ、きれいだな、と思った瞬間に心の中ではカメラのシャッターを切ってはいるのですが、いざ写真を…というときには、もう移り変わっている。早朝はお湯も息も白くなる瞬間がありますね、温度も目に見え感じる今日この頃、皆様の冬支度はもう整っておられるでしょうか。

 

最近、複数の方からこの「体温」「温度」についてお話を頂くことがありました。手のぬくもり、子ども時代の他愛ないふれあい、必ずしも直接触れるに限らず、見守ってくれた人、遠く離れていてもつながっていた人、かけてくれた言葉、送ってくれた音楽、などさまざまな形で。

 

以前ある医師の方から、ヒトは脳を大きく発達させ保つという選択をしたために、狭い産道をくぐりぬけるぎりぎりの危険を抱えながら大きな頭を有して生まれてくる、つまり生理的早産の道を選んだという説明を受けて、成程と思ったことがあります。他の動物のように、生まれてすぐに立ち上がったり、自ら親のあとをついて食餌を得たりはできないで、誰かの庇護の下に抱かれなければ生き延びることもあやうく、つまりは子宮の外に相当早い段階で出てきているのだという、そのような表現でした。

たしかに私たちは、自ら動き食べることが可能になるまで、全面的世話を受ける期間が大変長い生き物です。養育者に抱擁され、声をかけられることも、成長と言うよりやや生存に近いところで大切な条件であることもよく知られています。

 

寒くなってきた12月、今日は抱きとめられることの意味、人と人の温度というものを考えてみることにしました。

いろいろな方のお話をうかがっていて思うのは、私たちは意識している以上に、こうした幼き日に得た人からの温度や肌感を、体のどこかで覚えているようだということです。もちろん幼いときのことですから、その記憶を言葉で詳しく説明できるわけではないし、もう少し成長してから経験した感覚に置き換わっていることも多々あるのですが・・・つらく哀しい時も、基本的には一人で苦しむことの多い私たちの人生ですが、生まれてきたその時、誰かの手に抱かれ、包まれた事実なくしては生き延びることができなかった。それだけは確かのようです。そして、個々人の差はありますが、苦しかったどん底の時、かつてすれ違った誰かに、あたたかい声をかけられたこと、見守られた瞬間があったこと、自分でそれを補おうとしたこと、それを体のどこかで記憶している。見守ってくれたのは家族・血縁とは限らず、むしろ全くの他人であることも多いのです。その記憶が体のどこかに残り、そのどこかを起こし保つことができれば、たとえ深く傷つけられたとしても、とてつもない苦境に遭ったとしても、なんとか持ちこたえられることがある。微力であっても、それがもつ力を否定はできないのではないでしょうか。せめて捨てずにいてもよい希望ではないかと、日ごろ思っています、やや祈るような気持ちで。

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作品を引くことの多い当ブログですが、今日は、壺井栄さんの短編から「十五夜の月」をご紹介したいと思います。小豆島が舞台の「二十四の瞳」で有名な作家ですが、実は非常に数多くの児童向けの小品を残しておられます。戦中・戦後の貧しい暮らしの中で、ときには理不尽に思える世の中で、弱きものが支えあって生きる姿を描く、平易な言葉でやさしくやわらかく、しかし時には強い意思の力をこめた表現に胸がじんとする作品群です。

 

さて「十五夜の月」では、母の大病のため赤子のときから5つ6つの齢になるまで里子に出されたのち、また元の生家に戻ってきた千代という少女が出てきます。生家の環境に再度なじむまで苦労しながら、おばあさんをはじめ多くのきょうだいや子どもたちと過ごした成長の日々が描かれています。おばあさんの深いぬくもりについては作品のほうでご鑑賞いただくとして…

今日のテーマで言うと、とくに、里親であった「石屋のお父っつぁん」と千代の再会と別離の場面が印象的です。

戦中のことで、石屋のお父っつぁんは千代が10歳に成るころ、満州へ行くことが決まり、千代の家へ挨拶に来ます。千代にとって5つまではお父さん代わりだった人、あんなになついていて、生家に戻されたときには泣いて恋しがっていた石屋のお父っつぁんを、10才になった千代は急によその人のように思って気恥ずかしく、せっかくの再会にもかかわらずもじもじしてしまいます。石屋さんも成長した千代にひどく遠慮していましたが、いよいよ最後のお別れの船が出る日、「千代ちゃん、ちょっと抱かれておくれ」・・・みんなが見守る中、お母さんに促されてお別れをしに進み出た千代。石屋さんはただぽろぽろと涙をこぼしながら、言葉も無く千代を抱き上げる、そんな場面があります。

 

現代なら、10歳というともう十分大きくて、抱っこするなんて子どもっぽい、大きな大人がみっともない、と思う向きもあるかもしれません。いいえ、しかし、そうでしょうか。当時の状況を思えば、このたったひとつの抱擁が、お互いにとってこの先どんな意味をもつか、計り知れません。石屋さんの気持ちだけでなく、赤ん坊だった千代がどんな風に愛されて守られてきたのか、それを彼女の心に伝えるために、言葉はなくても十分すぎるのではないかと思います。そのしるしに、千代はこのあと、驚くほど自然に石屋のお父っつぁんのことを“忘れながら”、より強くたくましく成長し、生家の環境になじんでいきます。表面上は忘れたようでいて、しかしどこかに里子時代の影を背負って生きてゆく千代。別れの日の石屋さんの温度は、おそらく生涯を通して、彼女を下支えする力になったことでしょう。

 

本格的な冬がもうそこまで来ました。

(もしそれがあなたを怖れさせたり傷つけたりするものでないならば、)思い出してみてください。誰かに抱きとめられ守られたかもしれない日の温かさは、どこにあるでしょうか。それはあなたの中でどんな風に息づいているでしょうか。直接覚えていなくても、誰かから聞けそうならば、聞いてみるのも良いでしょう。そんな記録もあなたの身となり、あなたを支えるかもしれません。そんなものはないという方も、忙しいけれど、ほんの数分、ただかつての自分と共に佇む時間を取ってみてください。その時間を割くことが、いつかこの先あなた自身の力になるように。

そしてもし身近に、大切な誰かがいるならばその人に、気持ちや温度を送ってみてほしいと思います。

 

※尚、今回の話題に何らかの気分の悪さ、恐れ、感情の涸れなど強くある方は、全く別のお話の聴き方となりますので、ご来室の際お申し出下さい。

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