カナリアるーむ こころの相談室

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古い鍵

暑い日々が続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日は久しぶりに短篇小説から。ちょっと不穏なタイトルではありますが、推理もので「殺しの翌朝(Murder on My Mind)」をご紹介します。

日本ではW.アイリッシュの名で紹介されていますが、ヒッチコックの名作映画「裏窓」の原作者として有名なミステリー作家の作品です。実際はコーネル・ウールリッチとして多くの娯楽雑誌や新聞に寄稿・執筆を続けていました。ヒッチコックは歯医者の待合でこれらを読んでいたとも伝わります。かくいう私も学生時代、行ったこともない古い米国の町の、クラシック映画でしか触れる手段もなかったこの世界に、魅了され読みふけった時期がありました。

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1936年当時の雑誌に掲載の同作品 C.ウールリッチの名が中ほどに

「殺しの翌朝」は過労気味の刑事が経験したある数日間を描いたもの(睡眠時遊行の症状も出てきますが)、時を越えて2021年現在の我々にも同じほど何ともいえぬ鈍い重みを伴って伝わる刑事の疲労感や、ほんのささやかな一瞬に感じる記憶の風景とその再現が、非常に巧みな哀切でもって描写されています。

この刑事が、古い旅行鞄から見つけた、ある古い鍵。これが文字通りストーリーの鍵となるのですが…

この古鍵はいったいなんの鍵だったか、どこの鍵だったか。彼もまた、それが思い出せず、ひとまず捨てずにチョッキのポケットに入れて忘れてしまうのですが、後々これが大きな展開と悲しみを引き起こします。

 

鍵、いわば記憶の断片。

あなたの心の奥の風景。どこかで見たような景色。

既視感<デジャブ>

はじめてではないような何か。

ここにはそれがあった?と感じる違和感。

古い扉の鍵穴に、その鍵がはまり込む。がちゃりとゆるやかに錠が外れる感覚。

 

「ドアは目の前で音もなく内へひらいた。」(村上博基訳)

  (この一行を読んだ瞬間の哀愁を今だに忘れることができなかったりします。)

 

さて、カウンセリングに関わる話題に転じるならば、ここであろうと感じます。

人には必ずと言ってよいほど歪みがあります。これは身体でもそう、心的にも。その歪みに宿るその人らしさにわれわれは目を向け、ときに苦しんだり、ときに愛したりするものです。

武術に携わる方からお聞きしたことで、武の道には習得すべき形や技があり、指導者としてその規範を教え伝えているうちに、人の個性を潰してしまったのではないかと思うことがある、というお話をおぼえています。

というのも、そもそも成功には個性がなく、失敗には個性があるとのこと。

たしかに自分らしさというものは、行きづまりや失敗にこそ現れます。きれいにつつがなく運んだ物事の正解の答案には感じられない個性が見えてきそうです。

別の言い方をすれば、その人の表現、その人らしさ、その人の魅力は、問題や歪みの部分にこそ潜んでいるともいえるのでしょう。何らかの不適応は整頓し調整する必要はありますが、その魅力をまでも、剥ぎ取られることは果してどうでしょうか。

私たちは記憶を身体や心のなかに、あるいは表現として何らかの形で外の世界に、書き残そうとします。まとまりはないし、どこの扉のものだったかもわからない古鍵のような、思い出の断片。そこから発した表現かもしれません。

あなたのそばにあったもの、なぜかずっと残ったもの、あなたの心に浮上した感覚のさまざま、それはどんなものだったでしょうか。

いかなる痛みや失敗も、遺(のこ)りものも、記し残そうとした表現のかけらかもしれません。そしてそれが人間としての知性と呼ばれるところでもあるようです。

カウンセリングではこの断片、短篇に出てきた古い鍵のようなものもまた材料として丁寧に扱う部分であると日頃感じています。

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ヒッチコック監督も手にした?映画「裏窓」原作の掲載誌 初掲載時は<It Had to Be Murder>が原題

追記

ここで紹介した「殺しの翌朝」が収録されている創元推理文庫が、古いので最近ちょっと手に入りにくくなってはいるのですが、アイリッシュ(ウールリッチ)の短篇は代表作「裏窓」「幻の女」をはじめ多く出されています。電子書籍などもありますので夏の夜に、よろしければお楽しみください。